4年目の追悼 佐藤美紀雄先生

調子にのって我孫子マンションの資料を探してみた。
古いフォルダに眠っていた新聞記事を掲載した。
https://www.space-o.com/kiji01.html

全部、佐藤美紀雄先生の書いた記事だった。亡くなられてもう4年になる。

3つ並べてみた。悲しみがこみ上げてきた。
この我孫子がきっかけで時々お会いするようになった。

東京に事務所を移したときに、時々水道橋の事務所をたずねて
設計事務所と相性のよさそうなディベロッパーの名前を教えて貰った。
考えてみれば、彼は評論家であり、殆どのディベロッパーが快くは思っていなかったはず。
深く考えもせずに佐藤先生の知識と豊富な人脈を勝手に想像していた。
あの有名な10点法による評論記事を書くたびに、彼は胃の穴を深くしていたのだ。
彼は小さくても志の高い事業者の味方だった。という事は比較にならないほど大多数の大手業者は逆の立場をとっていたはず。

今年は何故か胃痙攣を二度起こした。一度は救急病院に休日自力でたどり着いた。
あの痛みはきっと私に佐藤先生の痛みの少しでも感じろという事かもしれない。
先生頼ってばかりでしたね。
連れて行っていただいた、行きつけのカラオケ屋さんで直立不動で歌う先生の背後には
雪の故郷秋田へ向かう機関車が見えていましたよ。