2008年にボリュームチェック全有料でします。と詠って始めた。
多分この業務、東京では私が最初に始めた。
それまではボリュームは設計事務所がディベロッパーの為に
実施設計欲しさに無料でするものと決まっていた。
基本設計の途中で何らかの理由でストップし、企画設計で清算するという事はあったけれど。
周囲では誰も信じなかった。ボリュームだけで成り立つなんて、と。
でも私には成算があった。一つには設計のスピードが全く違う事。
他社の3倍のスピードと集中力でこなせること。
正確性を裏付ける為自社開発したソフトを総動員できること。
建築費から法規制迄、一気に表示させそれと並走させながら設計できること。
建築費では正確性でディベロッパーの経験豊かな現場担当者を凌げたこと。
今では驚くほど多くの設計事務所がボリュームをやると詠う。
本当に実施設計と現場経験があるのかなと疑うようなケースも多い。
経験が無ければその設計は絵空事になる。
さて始めた当初、最も印象的な出来事があった。
その青年はネットの広告を見て依頼してきた。
直接会いに来た。案件は法規制の最も厳しい東京の小さな土地だった。
今まで大手の設計事務所で重要な設計者として勤めてきた。
仲間とともに事務所を起したばかり。この厳しい時代のど真ん中で。
それまでは海外で日影規制も道路斜線もないところで大きな空港等の設計を任されていた。
この初めての機会を獲らなければならない。
そう語る彼の眼は鋭く真剣そのものだった。
そして驚いたのは、その集中力だった。
こちらが話すことをメモしながら一言も逃すまいとし、
余計な持論は一切せずに、ひたすらこちらの言うことをすべて受け入れた。
こんな設計者がいるんだ。舌を巻いた。
若い設計者は必ずと言っていいほど、途中で持論を挟み、こちらの設計に意見してくる。
彼はただ吸収し続けた。
私が設計した第一案をもって打ち合わせし、
先方の要望を加えて再度やってきた。その時は同物件の競合相手の設計も持ってきた。
相手は名だたる大手の設計事務所だった。
普通の人ならそんな大手なら、と尻込みするかもしれない。
でも私は違う。
ディベロッパーとの受注競争で多くの大手設計事務所と肩を並べ勝ち抜いてきた自負がある。
どんなに大手でも結局一人のスーパースターが設計する。
その一人と戦えばいい、という持論があった。私は競合の図面をじっくり見て
相手の性格を見極めようとした。当然設計図には個人の性格と考え方が現れる。
そしてその欠点も見える。
相手にはないシンプルで無駄のない設計をして彼に渡した。
彼は強い目でそれを受け取った。決戦に赴く男の目だった。
それから10年以上の時が経った。
今では彼は日本を代表する建築家の一人になっていた。
もちろん最初の東京の建築は私の思いもよらない外部デザインになり建っていた。
その後の建築で、建築家に与えられる栄誉ある賞を数多く得て、
当初の自宅アパート事務所から、大人数を抱える事務所になっていた。
大いなる翼となっていた。
良かったなー、と思う。
勿論当初は私もメンバーに誘われた。
当時経済的にも必死に立て直しを図り、ようやく道筋が見えてきたところだった。
今、離れるわけにはいかなかった。
また振出しに戻るだけの若い意欲も自負もなかった。それで断った。
こうして建築設計の外側から見ている自分がいる。
今ではとても心穏やかに。