設計事務所の凋落 /RC造平屋-2

もともと建築設計事務所というのは設計施工分離の原則に則って存在している。
つまり設計と施工は別々のものだよという前提に則って我々の商売は成り立っている。それが昨今デザイン&ビルドという設計施工一体方式により壊れてしまった。
当然実際に自分たちで施工するわけではない建築設計事務所は、現実の施工価格という点では立ち遅れている。
知識もデータも大幅に不足している。その結果、顧客から予算オーバーだと言われ訴えられるケースが相次ぎ、裁判では負けの連続だ。こんなことは我々の世代では今まで考えられなかった。建築設計事務所というのは現場では絶対的な力を持ち建築の頂点に立つ者と自負していた。
もちろん雇い主である施主あっての話だけど。

建築設計事務所といえば得意げに自分の領土を客人に案内するがごとくに、
顧客を引き連れメーカーのショールームを回り、設備材料メーカーからは重宝され設計事務所価格という大幅割引特典さえ存在した。

つまりたくさん顧客を取ってくる大事な紹介者ということになっていた。それがすっかり変わってしまっていた。

設備や材料メーカーのショールームを回っても建築設計事務所の姿はもうない。
そこにあるのは実際の顧客たち自身が出向き、自分たちの目で判断し、選ぶ姿。

そしてたまに見かけるのはそれを引き連れる工務店やハウスメーカーの担当者のせわしげな姿。

設計事務所はどこにいるの?ショールームの人に聞いても、さあ見たことありませんという返事。

そう我々は建築の現場最戦線から外れてしまったのだ。

今回の家づくりではそれを嫌と言うほど体験した。
そう我々建築設計事務所は単なる普通の個人顧客としての存在価値だけになってしまった?

もはや後ろに大企業を引き連れて、各メーカーを喜ばせる存在にはなり得なくなっていたのだ。

今回の自宅の設計思い立ったのはちょうど2年前、当然最初は自分たちでほとんど全てできるだろうと思っていた。
それもはるかに低価格で。

2年前とはいえ大手ハウスメーカーの施工単価は坪100万円というのは常識になっていた。

我々世代の設計事務所から見るとハウスメーカーというのは3割以上利益を貪る企業で、
もしそこに建築設計事務所が介在すれば、その利益分を減額しそれに別個設計料10%を上乗せしても十分に採算が取れる、
しかも高度なデザインもついて、というのが我々設計事務所ののセールストークだった。

実際十数年前まではそのトークが有効で個人向けのアトリエ事務所というのものも多数存在した。

それゆえ最近の動向を知らなかった私は、ハウスメーカーが坪100万円というのなら、我々は独自の設計で坪70万にしてみせると公言していた。

まず最初にやることは構造を決定すること。
我々建築家の世代では鉄筋コンクリート打ち放しというのが憧れの工法だった。社会人に成りたての頃、安藤忠雄が大活躍していたのを目の当たりにしていた。

当時の建築設計事務所の所長の自宅といえば鉄筋コンクリート打放し(時々やりっ放し)と相場が決まっていた。

いつか自分もそんな家を建てたいと思っていた。
だが現実に自分で設計事務所を開き、日々の糧を得ることに疲れ始めるとそんなことは遠い遠い忘却の彼方になってしまった。

建築設計事務所から見ると建築の構造にはランクがある。
一番上が SRC 構造(高層の場合のみ)その次が RC 構造現場打ち、次が RC 構造壁式工法その次が重量鉄骨+ALC板厚さ100 mm 、その下が軽量鉄骨造 ALC 版厚さ50 mm さらにその下に木造がある。
もっとも昨今では木造も在来工法ではなく集成材を用いた高強度なものが増えているが。

上から順番に予算と合わせて検討していった結果、下から2番目の軽量鉄骨造と相成った。

ちょうどその頃 K 型フレーム工法というのを知った。
実際に基本設計でも何度か使ってみた、木造に近い感覚で軽量鉄骨を使う発想がシンプルでとても良いと思った。

そこでその方式で基本設計を進め鉄骨メーカーに打診し、施工図を書いてもらいそれをもとに見積りをとった。

当然期待するような数字が出てくるはずだった、ところが実際に出てきたのは坪85万円以上、私は打ちのめされた。

その数字も一番工事単価の高い設備関係を工務店側の都合のいいレベルで見積もり、こちらの意向が加味されていないという結果だった。
もしこちらの希望をさらに付け加えれば坪10万円以上のアップになるのは確実。

ここで設計が止まった。

基本設計を進めている間も実際に確認申請や実施設計をやってくれる設計者を別に探したけれど、今時個人住宅の設計をやってくれるところはどこもなかった。

この段階で私は自分で最後までやることを諦めた、土台自分の自宅の設計のために本業の方を休むわけにはいかない、
このままでは体力も気力も持たないだろう、そういう結論だった。

心の中では苦悶の嵐が沸き起こっていた。